絶望の世界を読んだ。


絶望の世界を読んで。 ー21.1世紀の終わりとともにー

 今日は「絶望の世界」というWebサイトを発見した。絶望の世界というのは、まあ陳腐な言い方をすればネット小説のひとつだ。個人の日記サイトのような体で始まっており、物語が紐解かれていく。サイトの開設はおそらく1998年十一月八日。
 当時はこのサイト、多分結構話題になったのだろうが、私がネットをしだしたのはだいぶ先の話なので私は当時のことなど全く知らない。
 2chが開設されたのは半年後の1999年五月であり、WindowsのOSはまだWin98、そんな感じの時代である。
 
 物語の内容は鬱屈とした学生、ネット界隈を舞台としたサイコホラーサスペンスといった感じのものである。これがぶっちゃけ私の好きな要素の詰め合わせ、どうぞ、という感じであった。精神的なグロテスクさ、現実と幻覚の境界の消失、弱者同士のみじめな人間関係、原始的で手探りなネット社会 etc・・・
 とはいえ、これは当時の社会現象、流行でもあった。「パーフェクトブルー」、「Serial experiments lain」、少し話がずれるかもしれないが、「ブギーポップは笑わない」が刊行されたのもこの年だ。翌年には「無限のリヴァイアス」が放映される。特に同月1998年11月末に発売されたlainのゲームなどは、その形式においても、ネットやいじめ、精神的狂気といったものの扱いと言う点でも類似している要素は多い。(全体としては全く違う作品であるが。)

 幾度も気づかされるのだが文化、芸術の面において、私にとってこの時代、もう少し広くとって、2000年を中心とした、1990年代後半から2000年代前半は特別な時代である。*1
 20世紀の幕引きに向け混沌と鬱屈感が充満し、そして、21世紀の幕開けとともにそのエネルギーは柔和に萎んでゆく。1990年代後半といえばポストエヴァなどとエヴァありきの文脈で語られがちだが、それだけでは語るにはおしい時空がそこにある。あの素朴で深刻で混沌としていた時代。いずれあの時代、その文化に一つの名前がつけられても良いと僕は思っている。
 他方で2010年代も終わりに差し掛かる現在、オカルトや様々な疑惑、恐怖、未知は整理され、随分世界は見通しが良くなった。悪く言うなら何か、垢抜けてしまった。ネットや、TVの深夜枠といった最後の闇底にも光が当てられ、影は消えた。闇はまだ残っているが、それらは煌々たる光に照らされ恥も外聞もなく無防備に立っている。ショーウィンドーに展示された、ランジェリーのように。人々は言う。「これは恥ずかしいものではないのです。」
 時代は戻らない。
 

 余談が過ぎたかもしれない。ともあれ「絶望の世界」はその時代性なしに読むことはできなかった。この作が先に揚げた同時代の作品群と肩を並べるべき作品か、というと微妙である。正直、第一部、せいぜい第二部が白眉であり、その後のエピソードは惰性的で、本来の魅力を見失っている(後半は現実味に欠け、安いライトノベル調である)。しかし、「ネット小説でしかできないこと」を挑戦していること、存在自体のアングラ性は注目に値する。ネットというフィールドで、芸術の可能性は広く眠っている。そして眠ったまま忘れ去られてしまいそうだ。ネットの価値を忘れるな、そこに渦巻く可能性をギラギラとした目で見つめ返せと、「絶望の世界」に植え付けられた虫は俺の腹の中でそう叫んでいる。



*1 2000年代の作品としては、同傾向では、「リリーシュシュのすべて」がある。

閲覧数:583  投稿日時:2019/12/23 15:28
文字数:1471 更新日時:2026/04/03 17:49

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